何から書いたらいいんでしょう・・・・
5年前から病に臥せって、故国メキシコへ帰っていましたが、
最後は息子たち家族に見守られながら、旅たっていきました。
私は、チューチョの危篤の知らせを受け、2月14日から8日間、メキシコへ行っていましたが、小康を保っていましたので、まだまだ、と思っていたのですが。
しかし、チューブにつながれて長く生きるもの不憫と思っていましたが、これでやっと楽になったと思います
思えば、彼と私の歴史は長く
チューチョ31歳、私が15歳のときの出会いでしたから、もう、
52年前のことになりますね。東京オリンピックの年でした。
私にとっては生涯をかけて愛した人。
彼にとっては、最後の女
世間で言う夫婦とは少し違った、パートナーシップで結ばれていました。
5年前に彼が壊れてしまい、4年前から国に帰りました。
鮭だって生まれた川へ戻るぐらいですから、人間最後は、生まれた国に帰りたいもののようです。
一日のほとんどを眠ってすごす晩年でしたが、
最後は故国に戻り、子供や孫たちに看取られて、幸せだったことでしょう。
チューチョはこの世の中にいなくなっても、
彼の残したメキシコの文化のともし火は、ここテピートで
小さくですが、灯し続けてまいります。
チューチョに食べてもらいたくて、作り始めメキシコ料理・・・・
おかげさまで、たくさんの方々に支持されるようになりました。
私は、ここ下北沢で、チューチョの思い出とともに、
メキシコ料理を作り続けてまいります
皆様、ありがとうございました
これからも、よろしくお願い申し上げます

チューチョさんはメキシコと日本でたくさんの人に愛されましたね。今頃は先に天国で待っていたお友達に再会して、ゆっくりと音楽を楽しんでいらっしゃると思います。
久美さんが作り続ける“メキシコの想い出”に会いに新しい「テピート」にも伺わせて頂きますね。
本当にショックです。
バースデーソングを、歌ってくれたことが本当に嬉しかったです。
東急イン渋谷での、披露宴も忘れられません。
コンサートにも、何回か行きましたが、あの演奏と歌声が見られない、聞けないことが、本当に残念でたまりません。
謹んでご冥福を、お祈りいたします。